ADHDをカミングアウトして仕事をクビになった時の話【実話です】

突然ですが、私は昔、ADHDがあることをカミングアウトして会社をクビになりました。

今回はそこに至るまでの経緯を書いていこうと思います。

たぶんADHDの人は仕事でつまづくことが多いと思うので、同じように仕事をクビになることに不安を感じている人もいるんじゃないでしょうか?

かなり恥ずかしいエピソードですが、少しでも参考になればと思います。

この記事ではクビになったエピソードから、その後、状況が好転したポイントについてもお伝えしていきますよ。

本記事の内容

  • 仕事をクビになるまでのエピソード
  • カミングアウトが意味すること
  • クビになった後【現在の状況】
  • ADHDでもスキルアップするためのポイント
  • ADHDの生存戦略

あんまり細かく書くと、色々マズイこともありそうなので、一部内容を割愛しますが、私の身に起こった事実をお話ししていきます。

ADHDをカミングアウトして仕事をクビになった時の話【実話です】

クビになった会社への入社から、実際クビになった時の話までのエピソードをつらつら書いて行きます。

amatochan
自分らしい生き方を見つけるまでだいぶ遠回りしたと思うので、反面教師にしてもらえたらと。

転職4回で5社目の会社

“ADHDあるある”だと思いますが、私は社会に出た当初から仕事ができなさ過ぎて、退職と転職をくり返していました。

まぁ、その内2社は会社がブラック過ぎたので退職理由は別にありますが…。

その時の話はこちらの記事をどうぞ。

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こんにちは、amatochanです。 先日私は、こんなツイートをしました。 https://twitter.com/ponama122/status/1287889984771387398 いまだにブラックな職場って[…]

まずは、このクビになった会社に入るまでの状況として。

ADHDと診断されたのは、3社目で働いていた時でした。

当時、「他の人とは明らかに何かが違う」と感じていた私は、ネットで「仕事ができない」というキーワードで解決方法を探しまくっていました。

そんなあるとき、「発達障害」の特徴があまりにも自分に当てはまるので、病院に行ってみたら「ADHD」と診断された訳です。

このクビになった会社へ転職に至るまでも、ADHDの特性との戦いの日々で、何度も心を折られて自尊心を失い、うつ状態が継続している中での転職でした。

なぜうつ状態の中、すぐに転職したのかというと、この時は既に結婚していたんですよね。

ですが貯金もほとんど無く、仕事を休むことは選択肢に考えられませんでした。

この会社へ転職したのは、既に5社目の会社でした。

確か、年齢は29歳の頃だったと思います。

その会社を選んだ理由

選んだ仕事は製造現場でのライン仕事でした。

なぜこの仕事を選んだのかというと、それまではとある業界の設計の仕事をしていたのですが、こんなことでつまづいていました。

  • 専門知識が理解できない
  • 臨機応変に対応できず混乱
  • 書類などのヌケモレが多すぎる
  • 段取りが組めない

こういった状況から導き出した、自分なりの仮説として、こう考えました。

  • 専門的な知識の必要ない仕事の方が良さそう
  • やることがある程度決まっている仕事なら臨機応変な対応は少ないだろう
  • 書類の仕事はやめておいた方が良さそう

当時は今ほど発達障害が世間で知られておらず、情報も少ない中で自己分析をするのはこれが限界でした。

こうした分析から、同じ製造業でも現場仕事に変えることにしたのです。

1年ほどはあまり問題は表面化しなかった

入社してから1年程、問題は表面化していませんでした。

自分でも、「この仕事なら続けていけるかもしれない」と思いはじめていましたね。

ちょっと余談ですが、最初は問題なく仕事していたのは、それなりに社会経験を積んできていたので、少しずつADHDの特性をカバーできるようになっていたんだと思います。

社会人になりたての時は正直、「目もあてられない」状態でしたからね。

そんなこともあり、1年は大きな問題なく過ごせていたんだと思います。

徐々にADHDの特性が表面化

ですが、2年目に差しかかったあたりから、徐々にADHDの特性が表面化してきます。

最初にそれを実感したのが、上司に「ちょっと間違いが多いぞ」と話をされたことでした。

どんな問題が起こっていたのかというと…

  • 製造現場でのヌケモレが多い
  • たびたび、不良品を出してしまう
  • やり忘れで周囲に迷惑をかける
  • 発注入力ミスが多発
  • 時間内に作業を終われない

たぶん、1年目ならあっても仕方ないことだけど、それがいつまでも続くことで表面化したんでしょうね。

そうして、実は製造ラインの仕事は向いていないことがだんだんとわかってきました。

理由はこんなところ。

  • 間違い、ヌケモレが許されない
  • 決まったことでもやることは膨大
  • やっぱり臨機応変な対応はどの仕事でも必要
  • 短時間で次々と処理しないといけない

改善に徹するも消耗戦

徐々に「ミスの多い人物」として問題とされるようになってしまい、苦しくなってきました。

もちろん、ただその状況を受け入れていた訳ではなく、様々な工夫や改善を考え実践していましたよ。

ですが、ひとつのことに注意していると、別のどこかでミスが出るという傾向があり、もはや”いたちごっこ”。

一向にミスは減ることがなく消耗戦となっていきました。

毎日のように叱責や指導を受け、あげくの果てには、一部の仕事から外されることとなる始末。

amatochan
この時はさすがに、自尊心を砕かれ、精神的にかなりキツイ状態でしたね。

【決断】発達障害をカミングアウトした

さすがにこのまま仕事を継続することは、自分も限界でしたし、周囲への迷惑を考えれば耐えられるものではありませんでした。

そして、「発達障害があること」を上司へカミングアウトしたのです。

職場の上司はとても良くしてくれる方だったので、まずは相談してみようと思ったのでした。

もちろんクビになることは覚悟の上で、可能であれば「障害者雇用」として別の就業環境にできないか、という話をしました。

すると上司の方は「会社と相談してみる」と言ってくれたのです。

本当にありがたい言葉でした。

クビ宣告【悔しくて泣いた】

その後、何度も上司の方は会社と相談を重ねてくれました。

ですが、結果は「退職勧告」

理由は、こういったところ。

  • 障害者枠として働いてもらう就業環境がない
  • 入社時に障害があることを伝えていない虚偽

まぁ、当然です。

障害者雇用を既に実施している会社なら、受入れも可能だったかもしれませんが、この会社の場合は、障害者雇用の経験もなかったんですから無理もありません。

でもショックが大き過ぎて、「クビ宣告」を聞いた日は涙が止まりませんでしたね。

実はこの時、嫁さんのお腹には子供がいたんです。

自分の不甲斐なさや、悔しさ、家族のこと、この先どう生きていけば良いのか?といったことで頭の中が真っ白でした。

退職までのこと

幸いなことに、退職のタイミングは数か月猶予を頂くことができ、更には上司の計らいで、「退職までの間は転職活動を自由にしていいから」と言って頂けたのです。

今でもこの上司の方には感謝してもしきれません…。

そして、退職までに無事、次の仕事を見つけることができ、ある程度心の整理ができた状態で退職の日を迎えることができました。

次の会社をどう選んだのかは、次でお伝えすることにします。

クビになった後【現在の状況】

会社をクビになった後に選んだ転職先は、派遣会社の契約社員だったんですが、結果的に人生で一番有意義な時間を過ごすことができています。

この仕事を選んだ理由にはこんな理由がありました。

  • 障害者雇用を選ぶつもりはなかった
  • ハードルを下げてみよう
  • 障害に理解のある会社だった
  • 設計の仕事が好き

それぞれの理由について、もう少し詳しく書いておきます。

障害者雇用を選ぶつもりはなかった

当時、障害者手帳はもっていましたが、障害者雇用を選ぶつもりはありませんでした。(現在は失効したままになっています)

というのも、3回目の転職の際にも障害者雇用について何度か話を聞きに行ったのですが、率直な気持ちは「この仕事を選んだら人生詰むな」と感じました。

というのも、すいません言葉は悪いですが、業務内容がいかにも障害者という感じの内容でした。

給料も1人暮らしもできないだろうな、という額。

最大の問題は、「履歴書にこの職歴が入ったら、確実に一般の仕事には戻ってこれなくなる」と感じたからでした。

確かに出来ない事が多すぎるけれど、「何もできない人間か?」と自分にたずねたら、答えは「ノー」でした。

これだけ、うつのどん底を味わっても、どこか「自分にもやれることがある!」という気持ちがくすぶっていたのです。

なので、選択肢に障害者雇用は皆無でしたね。

ハードルを下げてみよう

実はこれまでの転職活動では、内定をもらった会社の中で「一番大変そう」と感じた仕事を選んでいました。

この理由は、「苦労は買ってでもしよう」という成功者の話をよく聞いていたので、苦労=成長という、何のロジックもない思考が無意識にあったからだと思います。

割と挑戦意欲は強い方だったので、「ならば一番辛そうな仕事を選べば成長するはず」という考えでした。

ですが、この考え方はとてつもなく自分には向いていないことが証明されました。

ことごとく何も得るモノなく、退職と転職を繰り返すことになったのです。

一方で様々な本や自己啓発動画を見ていくと「小さなステップでコツコツ山を登る方が成長する」という話をよく聞くようになりました。

ちなみにそんな気付きを与えてくれたうちの一冊が、こちらの本。

テレビなどではバラエティ寄りな方ですが、さすが脳科学者の方です。

かなり本質的な内容で、思わず「確かに…」と唸りました。

こんな学びから、今回の転職活動では、「自分にとって一番ハードルが低そうな仕事」を選ぶことにしたのです。

障害に理解のある会社だった

クビになった会社は、結果的に「障害を伝えず入社」したことが、追い打ちとなりました。

なので、理解してもらうことはかなり難しいだろうと予想しつつ、履歴書に障害のことを書き、面接でも正直に伝えることにしたのです。

やはり、「障害がある」ということで不採用となる会社が大半でしたが、ある日ダイバーシティの取組みに熱心な会社を見つけました。

あまり期待はせず、面接に臨みましたが、無事に内定を頂き、入社することができたのです。

私にとっては「障害をオープンにした上で一般の仕事に就くこと」が目標でしたので、この時は本当に嬉しかったです。

設計の仕事が好き

元々、設計の仕事が好きでその分野で働いていましたが、あまりにミスが多く、「他の仕事の適性を探るために、業界を離れていた」という経緯がありました。

ただ、クビになった会社にいた時から、「やっぱり設計の仕事はやりがいがあったな」という思いがずっと心の中にあり、一抹の後悔があったんですよね。

が、幸か不幸かクビになったことで、「もう一度設計の仕事に挑戦できるかも」というチャンスが巡ってきたのです。

ただ、以前働いた時は全く上手くいかなかったので、「また同じ失敗を繰り返さないだろうか?」と悩みに悩んだ末、こんな結論に達しました。

  • 他の職種もいくつか経験したがどれも平均レベルもできないことがわかった
  • これ以上業界を転々としていれば本当に就ける仕事がなくなる
  • どれも得意でないなら好きな仕事をしたい
  • 設計職は少なからず専門スキルが身に付く

まぁぶっちゃけ玉虫色の結論で、モヤモヤは残りましたが、「そんなに間違った結論ではないかな」と思い、もう一度設計の仕事に転職することにしたのです。

どうせどの分野でも苦労するなら、好きな仕事でもがいた方が良いと思った訳ですね。

結果は割と幸せ

当初はうまくいくかと不安でしたが、今回は転職してから5年以上働いており、今までで最も仕事のスキルを身に付けることができました。

当初は契約社員として入社しましたが、その後正社員となり、現在は割と安定した生活を送っています。

ここで疑問となるのが、「なぜ今までできなかった仕事が、今回うまくいったのか?」ということ。

自分なりに分析した結果、理由はこんなところにあると思います。

  • 段取りが改善した
  • 仕事の基礎力が向上した
  • 分析能力が身に付いた
  • 心の整え方を知った
  • ある程度臨機応変に対応できるようになった

段取りや自己分析、心の整え方なんかにについては、私なりに経験から学んだことをこちらの記事で書いています。

よければ参考にして頂ければと。

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こんな感じで社会生活を送る中、徐々に基礎力は上がっていたのと、今回は仕事のハードルを下げたことにより、「自分のスキルと仕事内容がマッチしたのかな」と自分なりに分析しています。

現在は割と幸せですが、発達障害を抱え社会で生きていくのに、相当な労力と時間がかかってしまいました。

お話しした通り十数年間余裕のない生活で、自分のやりたいことをする”ゆとり”も”時間”もありませんでしたからね。

もちろん障害がなくなった訳ではないので、この先どうなるかはわからないですが、そんなリスクを見据えた将来についても、考えられるようになったことは大きいです。

先を見据えた次のステップへ

先日こんなツイートをしました。

現在は余裕のできた時間を使って、様々なやりかったことに取り組めることができています。

たとえばこんなことですね。

  • ブログを書く
  • 子供との時間を取る
  • 趣味を楽しむ
  • 読書
  • 将来への種まき

これ以外にも、挙げればキリがないほどあります。

ちなみに「将来への種まき」とは副業や投資、スキル磨きといったこと。

将来へのリスクヘッジの意味でもありますが、基本は自分の好きなことをしているので、趣味の延長線上という感じでしょうか。

やはり心の余裕は絶対に必要です。

毎日、心も身体もボロボロな状態では、とてもこんなことができる余裕はありませんでしたからね。

まとめ:無理しすぎは禁物

ADHDの特性改善に精一杯務めるのは大事ですが、「これ以上はどうしようもない」という線引きが必要と思います。

正直、改善にも限界があるので、いくら行動しても成長が見られないなら、その仕事を続けても状況を好転させるのは難しいかもしれません。

本気で向きあってみて無理なら、思い切って他の職種や業種で挑戦してみるのも良いんじゃないかと思います。

向いている仕事が発見できるかもしれませんし、そうでなくとも、自分の得意不得意のデータ取りもできます。

くれぐれも心と身体を壊す前に逃げましょう。

今回は以上になります。

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